福田英治のひとり言

2020/06/23

前回に関連して、模試の過去問の取り扱いで、もしかしたら私の考え方が間違っているのではと思い、受験指導に定評がある5人の先生方(進学校、大手予備校、同業者、模試問題の作成者)に意見を求めたら、ほぼほぼ私と同じでありました。特に受験学年においては模試の過去問演習は時間の無駄で、整理学習の妨げになるとまで言い切る先生もいました。高校1.2年生においては、範囲テストと思えば、その範囲を定着させる意味で過去問の演習はありうるのかなという見解もあります。しかし、今年の高校三年生においては、何よりも効率的な得点力アップが求められます。だから、受験指導は私の想いで突っ走ることを決意しました!!

それなのに……

なぜ高校の先生方はそこまで過去問演習に力をいれるのでしょう。すると、ある県立高校の先生から、各教科担当で模試の平均点を上げて、学年主任の○○先生を教頭にしようとか一致団結することもあると聞きました。教育は絶対に生徒が主役です。脇役であるはずの先生主体では……。大手企業や官僚ならまだしも、特に地方公務員や中小企業で出世にこだわるのかが、サラリーマン経験が少ないせいか、まったくもって理解できません。天下り先があるわけでもないし、子会社の役員になるわけでもないでしょうに。教員の場合、校長であれ教頭であれ、ほとんどの場合定年を迎えたら、煙たがられながらも再雇用で一教師になるしかないと思うのですが。

まじ新聞を読め!

定年間近の私からすると、私たちより年下の多くの社会人が新聞を読んでいないことに寂しさを感じます。読んでいたとしても一紙のみという人が多すぎます。中にはニュースはネットやテレビで見ていますと反論する人もいます。新聞記事が何面にどのような配列で載るかは、その新聞社の考え方を表しています。そして、数紙読み比べることで社会の動きが見えてきます。万人受けしないけれど、専門家の目から見て重要と思われる記事も全国紙では取り扱っています。ところが、ネットニュースは新聞社から購入した記事のうち読者が興味をもって見てくれるかどうかだけを基準に選んだものなのです。テレビ局もYOU TUBEのニュース番組もさほど変わりません。社会の動きは紙面から自分で感じ取らなければならないと思います。そうしないと大勢が好むことに流され、自分で社会を見ることができなくなるのではないでしょうか。