福田英治のひとり言

2020/08/21

暑い日々が続いていますが、熱中症にならないように、さらにはコロナに感染しないようにと自己管理がこれほどまでにも求められる状況になるとは思っていませんでした。コロナ禍で我が家の初盆もお参りに来る方はほとんどいらっしゃらないだろうと鷹をくくっていましたが、12日から15日まで4日間多くの方にお参りいただき、バタバタながらも人のつながりのありがたさを痛感するお盆でした。市外の親戚にはお参りをご遠慮いただくよう案内したことを、今更ながら恐縮しています。私自身は社会人になって初めて一軒も初盆参りに行きませんでしたが、そのことが真夏の行事を完了できずにこの猛暑の終焉が近づいていないように感じる一因なのかもしれません。

数学的思考力とは

数学的思考力とは、大まかにいえば物事の仕組みを一つひとつ整理して考えられる能力で、情報をフローチャートにまとめることができる能力だと言われます。そのために必要なことは「“わかった”の基準の違い」を知り、自分の「分かった」を疑うことではないでしょうか。とりあえず分かったような気がするけど、まだ実は10のうち3くらいしかわかっていないのかもしれないな~。分かったつもりにならないようにもう少しキチンと整理して考えてみようという姿勢が大切なのだと思えます。さらには、普段から論理的に考える習慣を身につけることで、物事を一つひとつ整理して正しく理解することも分かったつもりから抜け出すために必要なことだと思えます。人に話をするときにはキチンと一つひとつ順を追いながら分かりやすく話ができるようにすると、分かったつもりから一歩抜け出すことができるようにもなります。

基礎は多くの事柄のベースとなるものなので、実は奥深いものです。ところが基礎的なことは表面的には分かりやすく感じるので分かったつもりになりやすいものです。表面的な理解に終わらせないためには、実際に応用してみることで初めて基礎を本当の意味で身につけられます。すなわち、応用できないということは、基礎を分かったつもりになっているにすぎないのです。

数学的思考力が実社会で活きる

高校までに学習する数学自体は、実社会で使うことはまずありません。ギャンブルをする人は高等な確率を使うことがあるかもしれませんが。でも、数学を学ぶ際に身につけた数学的思考力は実社会ですこぶる有益です。数学的思考力が低い人は情報を整理し、情報の基盤を作ることができないので、情報の本質を見抜けません。すると、人間関係においても周りの人からの信用が薄れ、孤立しがちで、あまり賢いとは言えない人が集ってきます。

また、数学的思考力があまり発達していないひとには、周りの空気が読めない人が多いように思われます。空気が読めないというのは、相手の視線に立って考える視点が足りないということです。空気が読めない話し手は、説明が長いわりに、相手にとって「どうでもいい話」になっている人もよく見かけます。

そう考えると、数学の問題を解くたびに養われる数学的思考力は一生ものなのです!!

学生時代にしっかりと基盤を作って欲しいと願っています。